木津自治会(kizu)

神戸市西区押部谷町木津

地名の由来
明石川上流沿いの階段状の集落であり、昔は木材の集散地であったことから、木材を集積、搬出する水運の港という意味で木津と呼ばれるようになったと伝えられている。またはキヅは、古代日本語「狭長は深い谷」という説もある。

組織
・木津自治会 ・財産区 ・山林組合 ・水利組合
・営農組合  ・神社  ・寿会   ・消防団
・子供会   ・寺総代 ・民生委員 ・防火管理者
・交通安全協力員

年間行事

1月  こうど(第1隣保)
   河川清掃(ホタルの生息環境整備)

3月  押部谷町連合自治協議会
   木津神社春祭り(神事のみ)、桜の植樹
   自治会総会

4月  押部谷東ふれあいのまちづくり協議会 総会
   押部谷町連合自治協議会 総会
   秋葉神社春祭り(神事のみ)
   押部谷町公園の清掃 「年4回」

5月  公会堂周辺の草刈り
   振興センターとの野帳の確保
   神戸市副市長、木津神社 視察

6月  JA総代懇談会
   ホタルの鑑賞会
   道路愛護
   押部谷連合自治協議会
   すべり台とベンチ設置

   

年間行事
 
 7月 木津里づくり協議会

 8月 公会堂内外の清掃
    明石川クリーン作戦
    道路愛護

 9月 秋葉神社秋祭り(神事のみ)

10月  住吉神社秋祭り(宵宮)(本宮)
    木津賢宗仁賢神社秋祭り(宵宮)(本宮)
    住民自治組織代表懇談会

11月  明石川リバーウオーク

12月  公会堂内外の清掃
    自治会各団体の長との面談(消防団、
    寿会、子供会)
    北五葉ふれあいのまちづくり協議会
   「しめ縄づくり教室」

名所・旧跡
賢宗仁賢神社(木津の宮神社)
木津に「木津の宮」と呼ばれている「賢宗仁賢神社」があり、祭神は顕宗天皇と仁賢天皇を祀っています。八世紀に書かれた「日本書紀」と「播磨風土記」には、この兄弟の物語が出ています。
この二人の天皇の幼名は億計(おけ)、弘計(をけ)と呼んだ。
この兄弟の父は履中(りちゅう)天皇の子供で市辺押歯(いちのべのおしば)。兄弟で即位を争い、殺害が繰り替えされ、兄弟の父で市辺押歯も暗殺されたため、即位した雄略天皇の追及から逃れるために押部の谷の忍海部造(おしぬみべみやっこ)細目家にかくまわれた。次に即位した天皇に子が無く、播磨国司がきて、この王子たちを見出して弟の弘計が先に即位して顕宗天皇(484年)、兄の億計が次の仁賢天皇(488年)に即位した。

市民の木 ヒノキ
神戸市市民の木に指定されているヒノキ

 顕宗仁賢神社のヒノキは幹周りが3.5m、
高さ23.5mの巨木で市民の木に指定されています。

農村歌舞伎舞台
「木津の宮」と呼ばれる「賢宗仁賢神社」内にある舞台が江戸時代に農民自身が演じた、農村歌舞伎の奈落のある舞台が備わっている。今でも、秋に神社の祭礼には子供歌舞伎などが演じられている。

木津太鼓の雄姿 🎵
農村歌舞伎の舞台
子供歌舞伎 熱演中 👆

木津の磨崖仏
この天然の岸壁に彫られた「磨崖仏」には文生2年(1467年)の銘があるので、室町時代から戦国時代に移る年です。金閣寺等が建てられ、仏教文化が栄えた。全国が戦乱に巻き込まれた戦国時代でも、守護大名が再興し、その治下で平和な日々が続いた。
明石地方の政治の中心は三木城のため神戸から三木への街道の行きする旅人の安全を願って中央に阿弥陀仏、左右3体ずつ六地蔵を刻んだ。

賢宗仁賢神社
顕宗仁賢神社鳥居
木津の磨崖仏
磨崖仏歴史紹介
専門家による説明

お宝・自慢できること
 日本書紀や播磨風土記に顕宗天皇や仁賢天皇の記載があり、室町時代、戦国時代には
 垂水明石地方で造られた磨崖仏等々歴史的な遺産が多く、由緒ある土地柄である。

押部谷東ふれあいのまちづくり協議会へようこそ