木幡県営住宅自治会(kobatakeneijyutaku)

概要

昭和35年以前には木幡地区の村は松茸が取れる山や柿山があった。

 兵庫県がその丘陵地帯に戸建ての県営し、住宅を建設し、昭和39年に入居が始まった。神戸電鉄の沿線では・木幡団地などとともに比較的早くから、開けた団地です。

押部谷の他の地域と同じように、水不足や近くに商店が無く、毎日の買い物などにも苦労した。現在の木幡団地と一緒に木幡団地自治会を作り、協力して町づくりにあたった。

その後、当初からの木造住宅の老朽化が著しくなったために平成6年3月から順次すっきりとしてあかぬけた3階建ての鉄筋コンクリート住宅に建て替えられた。9棟168戸の木幡県住団地として生まれ変わりました。そのご阪神淡路大震災で被害を受けた方々の入居をふくめて大幅に入居世帯数が増え、若い住民も多くなり、子どもたちの明るい声が聞こえていました。自治会を中心に新たなふれあいの地域づくりがすすんでいました。

ただ、ここ数年来、徐々に入居者が減ってきていて、行事等が縮小されている状態です。

定期的に入居者が力を合わせて建物付近の清掃(クリーン作戦)を実施しています

1号棟から9号棟の風景

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